若葉だい家族記者たちが、記者になる前に書いたエッセイ。
若葉台に関すること、子育てに関することなど、
ママライターたちの等身大の姿をご紹介します。
Special thanks to Tsubota sensei.
子育てのまち ~母の選択、娘の選択~
ピピピ、ピピピ。
二月。日が傾き急に冷える午後四時。
三歳の次男の手を引き遊歩道を行くと、鳥のさえずりが響いた。
「聞こえた?」と聞くと、息子が繋いだ手をぎゅっと握り直し、力強く頷く。
「どんな鳥だろうね」と振り向くと左手に八分咲きの寒梅。
しばらくすると桃色の花の間に、抹茶色のふっくらした姿が見えた。
そっと息子の横に屈み、目線の高さを合わせる。
「ほら、あの枝が分かれているところ。見えた?」
私の指をさす方向に視線を向け、丸い頬が黙って小さく頷く。
ピピ、ピピピピ。
いつもハチャメチャな三歳児も、冷え性のアラフォーも、
一時寒さを忘れて姿に見とれていたが、
やがて小鳥は次の餌場へ飛び立っていった。
「何ていう鳥だったのかな。
ウグイスみたいな色だけど、鳴き声が違うね。
帰っておばあちゃんに聞いてみようか」
おばあちゃん子の息子は大人しく同意して家路についた。
母の選択
「ああ、それはメジロ。寒梅の花を食べに来るのよ。」
孫におやつを食べさせながら母が教えてくれた。
元々森林地帯の若葉台では鳥の声や虫の声は珍しいものではない。
夏のセミ、秋のスズムシは騒音問題レベルの音量だ。
カラス、ハト以外の野鳥も多い。春になるとウグイスの声も聞こえる。
この環境で育ったにも関わらず、私は鳥の名前がわからない。
母に言うと「まあ、そんなものよ」と存外気にしていない様子だ。
私は生まれる前から若葉台に住むことが決まっていたそうである。
母が子育てのため自然環境の良いところを探し、若葉台に決めたという。
建物の完成を待って1歳半に引っ越して来た。
それから大学卒業まで若葉台で過ごした。
歩道と車道が完全に分離された遊歩道、大小の公園、四季折々の植物――。
小さい頃は自然の中で思いっきり遊び自然の恵みを享受した。
娘の反発
ところが高校生になると都内の学校と家の往復で、
若葉台の中を歩くこともなくなった。
とにかく十代の若者にとって若葉台は魅力ゼロのまちだった。
おしゃれなお店はないし、なんといっても田舎だ。
渋谷から遠いのが嫌だったし、バスに乗るのが嫌だった。
「なんでこんな田舎に家を買ったの?」と何度母を責めたことだろう。
母が十代の私に何と答えていたのか覚えていない。
ただ黙っていたのかもしれない。
就職して千葉に配属され、私は若葉台を出た。
その後結婚し、夫の転勤でインドネシアに駐在した。
インドネシアでは新しいタワーマンションに住み、都会生活を満喫した。
母となった娘の選択
ところが妊娠すると、私は引っ越しを主張した。
安全に子どもを散歩させられる広い庭のある住まいを探し、
築何十年も経ったホテルに併設のアパートを選んだ。
古いがその分、土地は広かった。
車の入ってこない安全なジョギングコースがあり、
南国の木々が生い茂っていた。
なんてことはない。
私が探していたのは若葉台と似ているところだった。
帰国辞令が出ると私は若葉台に帰って来た。
もちろん親が住んでいることもあるが、
子どものための環境を考えたら他の場所は選べなかった。
同級生の元やんちゃ男子も言う。
「子育てするなら若葉台でしょ」
自然と触れ合える環境の中で子育てをしたい人は多い。
都心に住んでいる友人も、週末にわざわざ自然体験に行くという。
子どもの心を育むには自然との触れ合いが一番良いと、
多くの親が理解している。
――満開の桜並木の下を散歩する。
――ヤマモモの実を食べる。
――バッタを捕まえる。
――まんまるどんぐりを拾う。
――カサカサ落ち葉を踏む。
――霜をざくざく踏む。
――車を気にせず思い切り走る。
――長い格好いい枝をみつける。
――石垣で平均台遊び。
全部私が経験したことだ。
このリストの大半が家から徒歩1分で実現できる。
そしてこのリストには「メジロのさえずりをきく」が加わった。
「子どものために若葉台に住む」母がした選択を私もした。
私の子どもたちもいつかここから巣だっていくだろう。
彼らが戻ってくるかはわからない。
ただ――、私は思うのだ。
ここで育ったことの価値を理解する日は必ず来ると。
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